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子供の頃にあこがれた「アフリカ」の、未来のためにできること。



 記念すべき第1回には、UAPACAA国際保全パートナーズ代表理事の、岡安直比さんにインタビューをさせていただきました。岡安さんは現在、コンゴ民主共和国、カメルーン、ブータンを中心に、現場に寄り添った野生動物保全活動をされています。そんな、岡安さんは、どんな野生動物な歴史を歩んできたのでしょうか。そして、遠い国々の野生動物のために、私たちができることとは?野生動物職業・大学図鑑のメンバーで、深掘りしてみました!

 



岡安直比(おかやすなおび)さん


NPO法人UAPACAA国際保全パートナーズ 

代表理事 兼 事務局長




1960年、東京都生まれ。1992年、京都大学大学院理学研究科博士課程修了。その後、日本学術振興会海外特別研究員、コンゴ共和国・ハウレッツ・ゴリラ野生復帰プロジェクト・ブラザビル・リハビリテーションセ ンター長、世界自然保護基金(WWF)ジャパン自然保護室長、 京都大学野生動物研究センター特任教授、公益財団法人日本モンキーセンター国際保全事業部部長等を経る。2018年に、NPO法人UAPACAA(ウアパカ)国際保全パートナーズを立ち上げ、現在、代表理事兼事務局長を担う。著書に、『子育てはゴリラの森で』(小学館)、『みなしごゴリラの学校』(草思社)、『サルに学ぼう、自然な子育て』(草思社)、等がある。


 

野生動物に興味を持ったきっかけは何でしょうか?


アフリカへのあこがれ


  テレビの影響も大きかったかな。子供の頃のテレビ番組に、『野生の王国』と『すばらしい世界旅行』という2つの番組があったんです。日本にはない、遠い遠い国の自然の様子をすごくよく特集していて。そういう自然番組に、子供のころからなんかすごく惹かれていていました。「あそこに行ってみたいなあ」と。そういう意味では、もう小学校の頃から、一度はアフリカに行ってみたいって思っていたんですよね。実は(笑)。


 そしてちょうど、私が生まれた1960年前後から、イギリスのジェーン・グドール博士を筆頭に、アフリカの類人猿を対象とした、フィールドワークが盛んになっていったんです。日本では、京都大学の伊谷純一郎先生を中心に、化石ではなく生きている人間に近い動物、特にアフリカの類人猿の社会構造から、人間社会のルーツを探ろうっていう、新しい学問も始まったんですよね。そんな流れの中、私が小学校高学年くらいになった1970年には、伊谷先生が「チンパンジーを追って」という、子供向けの本を出されました。


 私が小学生から中学生だった時期には、その伊谷先生の本をはじめ、特にチンパンジーを相手にアフリカで調査をしていた人たちの研究結果が、子供たちにも分かりやすい形で、どんどん出版されていたんです。これがもう一つのきっかけというか、野生動物やアフリカにあこがれるようになった、最初の入り口だったと思います。


「人間って何なんだろう」


  あと、やっぱりもう一つは、これかな。小学校から中学校の思春期の頃に、男の子にいじめられたりっていう経験から、自分自身が不安定な時期があったんですよね。そんな時の、いろんな疑問や悩みから、「人間って何なんだろう」って。そして、そこからなぜか、「人間っていったいどこから出てきたんだろう」、「人間がどうやって進化してきたのかを知りたい」っていうところに、興味がいってしまったんです。それとアフリカが結びついたっていうところもありますよね。



進路はどのように決めましたか?


バスケットボールとアフリカと野生動物と


 中学から高校にかけてバスケットボール部に所属していて、朝から晩まで、バスケットばっかりやっていました。バスケットがとにかく楽しくて楽しくて。実は、そのまま体育大学に行くっていうのも考えていたんです。だから、ほとんど勉強をしていませんでした(笑)。伊谷先生の研究室がある、京都大学理学部を受けようと決めたのも、高校3年生の夏くらいでした。だから当然、最初の年は落ちてしまいましたね(笑)。そこからですね、本気で勉強をしようと決意したのは。


 ただやっぱり、合格できなかった時にどうするのかっていうことも色々考えて。動物が優先か、それともアフリカに行くのが優先なのか。動物の選択肢としては、獣医さんも考えていました。ただ私、数学とか、物理とか化学とか、数字が出てくるものがすごく苦手で。どっちかっていうと、国語とか英語とか、そういう科目の方が得意だったんですよね。今考えれば、よく理系に行けたなって思うんですけど。


 そんなこともあって、人類進化論の王道?の発掘調査をしている、早稲田大学の研究室も受験しました。これは、アフリカに行くためですね。結局、縁あって、京都大学の理学部に進学することができたのですが、もしかしたら、エジプトのファラオのお墓を掘っていたかもしれなかったですね(笑)。



どのような学生生活を送っていましたか?


ゴキブリのスケッチも今に生きている!?

 

 大学4年生になったら、自分が師事したい先生の研究室に出入りできるようになるんですよね。私の場合は、理学部の中の「人類進化論研究室」っていうけったいな名前のついた、伊谷先生の研究室に所属していました。そこでは、アフリカでフィールドワークを行っている先輩がほとんどでしたね。「半年アフリカに行ってました~」って髭ボーボーで帰ってきた先輩がそのままゼミに出てきて、「ああ~くたびれた~」とか言いながら動物の写真を見せてくれたりして(笑)。そんな大学院生の先輩方とゼミも一緒にやるので、すごく刺激的でした。


 一方で、学校全体の主義みたいなものとして、「自然の世界は広いんだから、まずはなるべく広く接しておきなさい」っていうがあったんですよね。だから、研究室のゼミ以外の時間には、授業の一環として双眼実体顕微鏡で拡大したゴキブリの顔のスケッチとか、ハトの解剖なんかもしていました。こういうことがやりたくて理学部の生物系に来たんじゃないんだけどって、当時は泣きながらやっていましたね(笑)。でも今振り返ると、こういう普段はできないような経験をたくさんさせてもらったからこそ、視野が広がったと思っています。


日本のサルからアフリカのサルへ


 アフリカでサルの研究をしたい場合、うちの研究室の方針ではまず、修士課程でニホンザルをやるっていうのは決まっていたんです。そこで修士課程では、屋久島をフィールドにニホンザルの研究を行いました。調査地は、当時のニホンザル研究のトレンドで決まったんですよね。「お前、そこ行け」っていう感じで(笑)。


 博士課程に進学する段階になると、今度はアフリカに行くっていうのを前提で計画を立てることになるんですけど。その時にアフリカのどの類人猿を選ぶかっていうのも、時の運っていうところがあるんです。特に、当時は海外に行くっていうこと自体が大事業で、ものすごくお金がかかることでした。ですから、まずは研究費がとれた、大先輩の調査隊に参加するという形でした。それで私は、旧ザイール共和国(現コンゴ民主共和国)のワンバ村という場所のボノボを研究することになりました。


現地ザイール共和国同僚の方とボノボ

現地ザイール共和国現地スタッフの方とボノボ


 その研究関連で、2回ほどワンバに行かせてもらった後、1990年には、自分でも長期留学の研究費をとることができたんです。今度は自力でワンバに行けるぞって思って意気込んでいました。ですが、1991年9月、日本出発直前に、ザイールにて政情不安で暴動が勃発。そもそもザイールに行けなくなってしまったんです。そして、この内戦は2000年代まで長引いてしまいました。そこで、研究費を無駄にしないようにって、先輩方が慌てて別のフィールドを探してくださって。そこでご縁ができたのが、コンゴ民主共和国のお隣のコンゴ共和国にある、ゴリラの孤児院のプロジェクトでした。これが、研究対象がゴリラに落ち着いたいきさつなんです。ここでは、1992年3月から2年間研究を行いました。



今まで、どのようなお仕事をされてきましたか?


ゴリラの孤児院スタッフとして、一生働こうと思っていた


  ゴリラの孤児院での研究留学が終わった後、そのまま保護のプロジェクトスタッフとして現地に就職しました。現地では、密猟で親を殺された赤ちゃんゴリラがたくさんいて。そんな、日々死にそうな赤ちゃんをめぐって、イギリスから来た飼育の専門家とコンゴ人の保母さんやらが心を砕いて寝ずの番をしている。自分は研究者だからといって、のんびりと野生動物の研究をしている場合じゃないな、というのを2年間の留学中に実感していました。だから孤児院に就職した段階で、「もう、このプロジェクトでアフリカに骨をうずめよう」、そう思っていました。


赤ちゃんゴリラにミルクをあげる岡安さん

赤ちゃんゴリラにミルクをあげる岡安さん


内戦に巻き込まれてしまい、WWFジャパン職員に 


 ところが1997年に、今度はコンゴ共和国の内戦に巻き込まれてしまって。それどころではなくなってしまったんですね。しばらくフランスに逃げて、戻れるチャンスを待っていたのですが…。それも、なかなか叶いませんでした。そんな時に、WWFの募集がかかっているよっていうことで、応募をしたんです。そして無事に採用されて、日本に戻ってきたんですよね。ただやっぱり、コンゴのプロジェクトを途中で離れてきてしまった、ということがずっと引っかかっていて。できればまた向こうに戻って仕事をしたいと考えていました。


 というのも、「ゴリラの寿命は50年。その一生を知るために、今後50年はここの、このゴリラと付き合うぞ」という覚悟でフィールドに行っているのに、全然続けられていないっていう不甲斐なさがあって。これは、その動物たちにとってというだけではなくて、色々な協力をしてもらっている現地コミュニティの仲間を裏切っている、という感じがどうしても拭えなかったんです。一度コミットしたら、ずっと続けないとダメだなという反省が凄くありました。


内戦に巻き込まれる前の岡安さんと、仲良しだったゴリラ

内戦に巻き込まれる前の岡安さんと、仲良しだったゴリラ


UAPACAA国際保全パートナーズの設立


 そして、WWFジャパンをやめて、一旦は日本モンキーセンターにも所属していました。ただやっぱり、フィールドの仲間たちを裏切らない形で活動を続けたいと思ったら、自分で団体を立ち上げるしかないなという結論になって。そこで4年前の2018年に決心をして、WWF時代の仲間の協力も得ながら、NPO法人UAPACAA国際保全パートナーズを設立しました。


 実は、現在でも関わっているカメルーンのロベケ国立公園と、ブータンのロイヤル・マナス国立公園、そしてコンゴ民主共和国のボノボの里という三か所は、WWF ジャパン時代からずっと関わりをもっているんですよね。でも、ずっと未来永劫一緒にやってくというより、私の持っている技術を伝える、そして、現地の人たちが自立していけるプロジェクトを増やすというのが、今のUAPACAAの目標です。


野生動物保全活動に使用するランドクルーザーを、現地職員に進呈する岡安さん

ランドクルーザー進呈は、クラウドファンディング支援により達成


UAPACAAやそのほかの活動を通して見えてきた、現在の野生動物保全活動の中での課題はありますか?


昔と今では違う「密猟」


  同じゴリラの密猟でも、孤児院で面倒を見ていた時と、今起こっていることでは全く状況が変わっています。昔行われた「密猟」というのは、現地の人が自分たちが食べるために狩りに行ったときに、たまたまゾウやゴリラが狩れて、いつもより大きな獲物がとれたという話なんですよね。つまり、獲りすぎるってことをしないんです。自分たちも食べていけなくなるから。だから周辺の自然とのバランスが取れていたんですね。私の周りの人類学者たちは、「あれを密猟と呼ぶな」とも言っています。


 一方で現在の「密猟」は、ただお金のために、大量に、野生動物が殺されてしまうんです。例えば、「ゴリラやチンパンジーの赤ちゃんってかわいいよね」って言っただけで、マフィアが飛んで行って密猟をしてしまう。そして、チンパンジーの赤ちゃんを一人捕まえようとしたら、平気で10人15人殺されてしまう。お土産屋さんとかで売られている象牙もそうですよね。象牙って、アジアの人たちに人気なので、効率よく獲るために戦闘用の自動小銃を持ち込んで、一晩で26頭とか平気で殺すわけです。


私たちにできるのは「裏側に目を向けてみる」こと


 マフィアにとってみたら自分たちが持っている自然でもないし、お金になるから、根こそぎ持っていく。本当にえげつない。地元の人も気がつかないうちに、マルミミゾウが全滅している、という地域が凄くたくさん出てきているんですよね。だから、日本で「自分が普段買いたくなるものも、裏には悲惨な話が潜んでいるんですよ」という現実を、どう伝えられるかということは常に考えています。


 実はこういう話って、日本ではほとんどスルーされてしまっている。遠すぎてピンと来ないということもあるとは思うんですけど、だから知らなくて良い、ということにはならないですよね。ただ、皆さんに「こういうアクションをしてほしいんです」と一言では言えないくらい、根深い問題でもあるのが難しい所なのですが。じゃあ、できることはないのか。そんなことはないと思っていて。例えば、自分が好きな野生動物が、今どんな状況に置かれているのか、常に目配りしておく。こういうことでもいいと思うんです。これだけ情報が溢れている世界ですから、気になることは調べてみて、なるべく正確に理解することが大切ですね。コロナが落ち着いたら、気になる動物を実際に観に行ってみるのもよいと思います。


 これは、これからもっと悲惨なことになってしまわないために、私たちができることの一つだと思っています。


 

野生動物のためにできることを探している方へ


どんな立場の人でも、きっとできることがある


 私自身はすごく運が良くて、私が育ってきたのと、自然保護の盛り上がりの波が一致したので、日本でもこんな仕事をすることができています。ただ、こういう自然保護のNPO・NGOの活動って、野生動物と直接向かいあって何かをするだけではないんです。例えば、UAPACAAも、今の経理の方がいなかったら、絶対に成り立っていない。今でもとても助けられています。

 

 そういう事務・IT系の活動とかも然りですが、組織を動かしていくには、動物が好きというだけでは成り立ちません。「野生動物の仕事がしたいけれど、野生動物の専門知識はないし、理数系苦手だから…」という方のお話も結構聞きます。だけど実は、できる仕事はたくさんあるんです。なので興味のある方はぜひ、ご自身の専門がどこで活かせるのか、ということを探っていただきたいなと思います。そして、もしご興味があって知りたいことがあれば、UAPACAAからもアドバイスさせていただきます。



野生動物を学びたい、学んでいる学生へ


フィールド研究者の適正は、体力とやる気と現場力!?


  大学の先生に「今後こいつはやっていけるのか」という判断材料にされていたのは、体力とやる気だと思います。ジャングルのような過酷なところでフィールドワークができるかっていうところは、重要なポイントだと思うので。ただ、私は、結構薬にアレルギーがあったり、お腹壊しやすかったりしましたけど…。だからやる気かな、やっぱり。


 それと、自分自身に適性があるかっていうことを、自分で知ることも大切だと思います。例えば、自分がやりたい研究室に押しかけていって、そこで色んな先輩たちと話をしながら、自分ができるかどうかを見極めていくとか。今はメールなんかで、比較的先生たちと連絡を取りやすい時代にもなってると思うので、たくさんコンタクトをとってみるといいと思いますよ。


 あとはやっぱり、たくさん現場に出てみる。フィールドに出るっていうことも、もちろんそうだし、学会とかシンポジウムとかもいいと思います。最近は学会で大会があると、必ず1回は公開シンポジウムをやっていたりします。オンラインで参加するのも良いし、もしご自身の住んでるところから近ければ、直接出かけてみるのもいいですよ。シンポジウムの内容自体が勉強になるだけじゃなくて、そこで知り合いを広げるっていうチャンスにも十分繋がるのかなと思います。



それでは、みなさんのご活躍を応援しています!!


 


 




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